4月4日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県の山元、亘理、名取、岩沼、仙台などの各地を視察し、激励もしてきました。
本来なら震災直後に飛んで行きたい思いもありましたが、混乱する被災地の方々が国会議員に応対するため手を取られてはかえって迷惑がかかると考え、この日まで自重していたのです。
仲間の議員6人と東北新幹線で那須塩原へ。そこから東北自動車道で被災地に向かいましたが、路面が悪く、車はジャンプを繰り返し、私たちも車内で飛んだり跳ねたりする始末。
被災地は報道の通り、いやそれ以上の惨状でした。がれきの山や、田んぼに突っ込んだ車の数々、歩道に乗り上げた漁船。町ごと消滅してしまった地域。そして、そこにはテレビの映像や新聞、雑誌の写真では感じられない、被災地特有の「におい」が立ち込めていました。
被災地のJA組合長が「人口1万6千人はいた山元町が、恐らく1万人を切っただろう」とうめくように語りました。組合長自身の家も流されたといいます。
今回は主にJA関係者の声を聞きました。「イチゴの産地で、ハウスは流されてしまったが、またイチゴを作りたい。だが、あの津波を体験して、もうここに住む気にはなれない」「農家をやめ、JAの出資金を返してほしい、という声もある。農業の将来を担う後継者たちに希望の光を見せてほしい」「住民の手元にほとんどお金がない。とりあえず、がれき撤去作業の補助員のような仕事で収入を得られるようにしてほしい」
また、仙台市の奥山恵美子市長からは、「農地を押し流した海水による塩害が深刻であり、塩害対策の科学的知見を国から示してほしい」「集落を再生させる場合、海岸から何キロメートルも後退させる必要があるかもしれず、国のガイドラインを示してほしい」などの要請がありました。
まだ避難所生活を続けている被災者にお見舞いの品を届けましたが、「家内が見つかっておりません」といった沈痛な声を聞くと、何と慰めてよいか言葉が出ないこともありました。私たちが帰り際に、被災者の皆さんが拍手で見送っていただいたことは恐縮であり、私たち政治家はそれぞれ微力を尽くして復旧、復興に当たらねばならないと痛感させられた瞬間でした。




























