読書について

「坂の上の雲」 司馬遼太郎氏著

2010年2月12日 金曜日
「坂の上の雲」に思う

「坂の上の雲」に思う

趣味と聞かれると読書と答えます。子どものころから活字が好きで、いろんなジャンルの本を読んできました。

ブログでは、読んだ本や印象に残った本、私自身が影響を受けた本などを紹介させていただきたいとも思っています。今日、ご紹介するのは司馬遼太郎氏著の「坂の上の雲」です。

昨年からNHKスペシャルドラマとして放映されたことで、「坂の上の雲」が改めて多くの人々に読まれているようです。

私がこの本に触れたのは小学生のころですから、もう37、38年も前のことでしょうか。明治元年から日露戦争ぐらいの歳月が流れたわけで、その間に何度読み返したか分からない愛読書です。

特に前半、3人の主人公―秋山好古、真之、正岡子規の青春群像に魅惑されたのは多くの読者と同じでしょう。

子供心に、自分も明治という時代に生まれてみたかったとさえ思ったものです。もちろん実際には、明治はそんなに理想的ではなく、明るい光と暗い影が交錯した時代だったと思いますが、ともかく日本史の中で、また世界史の中でエポックメーキング(画期的)な時代であったことは確かです。

ごく単純な例え話をします。幕末維新から明治にかけての世界情勢をサッカーの試合に例えれば、欧米チームが押しまくり、アジアチームは総崩れになりかけていました。そこに独り立ちはだかったゴールキーパーが日本でした。

もし日露戦争に日本が敗れていたとしたら、今でもアジアのあちこちに欧米の植民地が残っていたのではないかとさえ思います。中国の孫文やインドのネルーは日本の勝利を喜びました。「これは単に日本人がロシア人に勝ったのではない。歴史上初めて有色人種が白色人種に勝ったのだ」。明治の日本がこうした世界史的な役割を果たしたことを「坂の上の雲」は壮大な叙事詩として語ってくれます。

日露戦後の日本はアジアに影を落とします。しかし、どこの国にも光と影の歴史があります。その双方を知り、教えることが大切であり、影の部分だけを教える傾向の強かった戦後の日本の教育の中で、「坂の上の雲」はやはり民族の誇りをかき立てる大作といってよいのだと思います。