おかだ直樹物語(第2回)

◇  記者おかだ直樹 北朝鮮で政治に志

岡田直樹は昭和三十七年六月九日、金沢市生まれ。赤ん坊のころ「吉田茂に似ている」という人がいたそうだが、それは吉田茂が赤ん坊のような顔をしていたということではなかろうか。赤ん坊はすくすく育ち、やがて身長一八八センチの大男になる。

子どもの時から歴史小説が大好きで、吉川英治「三国志」を読んでは中国大陸に思いをはせ、いま話題の司馬遼太郎「坂の上の雲」を読んでは明治の青春群像に胸を躍らせた。大学では中国哲学や憲法、政治学などを学ぶ。崩御した昭和天皇をののしった左翼の教授と大げんかして卒業延期となる武勇伝を残し、ふるさと石川に帰り新聞記者となった。記者として大河ドラマ「利家とまつ」の誘致にも一役買い、「願えばかなう何事も」と自信もついた。

大きな転機は「平成岸壁の母」という歌謡曲のようなタイトルの連載だった。石川県志賀町出身の寺越武志さんが昭和三十八年、日本海で行方不明になった事件を追っていた岡田直樹は平成九年、十年の二回、北朝鮮に渡航取材し、武志さんとも面会した。当時、北朝鮮は日本人拉致を一切認めていなかったが、岡田直樹は拉致の存在を確信した。同時に金正日を頂点とする軍事独裁体制のもとで自由を奪われ悲惨な生活を強いられている北朝鮮の人たちを垣間見て、正真正銘、男の涙がほほを伝った。いつの日か拉致問題を解決し、日朝関係を正常化し、両国民を救いたい―こんな大それた望みを抱いた。時に三十五歳、岡田直樹が政治に志した瞬間であった。